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【トピック】 最高のチーム

【トピック】 最高のチーム

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Corbin Hosler / Tr. Yusuke Yoshikawa

2015年10月16日

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 世界は苦痛だった。ブランドン・バートン/Brandon Burtonがこの苦しみを受けてきたのは初めてではなかった。そして、終わることもおそらくないだろう。睡眠は困難であり、薬物療法も楽ではなかった。長い間横たわりながら、彼が考えたことはそれだけではなかった。これからの人生も決して容易にはならないだろうと。

 世界は小さな町の小さなベッドルームだった。記念品、ほこりを被った本、ノートパソコン。部屋の普通の快適さ、それが数週間見続けることになるであろう唯一の景色であれば、なおさら見慣れたもの。挑戦的な手術、回復にはさらに厳しい道が待ち受ける。バートンにとって簡単​​な時間ではなかった。11歳にして、脳性麻痺を抱えて生きていた。それ以上に言葉はない。

 バートンは厳しい時間を戦い続けることには慣れていた。実母の妊娠の際、子宮にいたときに薬物使用により合併症を引き起こしたとき以来、彼は戦っていた。バートンにとって人生は簡単​​なことではなかったが、彼の行く道を保ったいくつかのことがあった。

 赤ん坊のころにエリザベス・バートン/Elizabeth Burtonという女性に出会い、養子として彼は救われた。与えて、また与えて...その生活を完全に捧げなければならなかったにもかかわらず。そして横たわりながらも戦える、栄光を味わえる瞬間、ブランドンはマジックの世界に出会った。

「彼は私に言ったのです。『マジックっていうゲームを見つけたんだ。10ドルもらえないかな?』」 エリザベスは笑顔とともに記憶をたどる。「彼が数日間忙しさを感じられるものになるなら、それは良いことだろうと思ったのです」

 プロツアー『戦乱のゼンディカー』第6回戦、ブランドンとエリザベスは数多の対戦相手を乗り越え、オンラインで観戦する数万のファンを前に、フィーチャーマッチの席についた。マジックの世界が、彼らに出会った瞬間だった。

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ブランドンとエリザベスは、マジックのトーナメントで、真にユニークなチームだ。車椅子で移動するブランドンは、テーブルに手を伸ばすのが困難である。そこでエリザベスはブランドンが指示するようにカードを配置し、彼女の息子の延長として機能するのだ。

 ブランドンは、若い頃からゲームを学んでいた。それを確かなものにしたのはエリザベスだった。クリベッジ(訳注:欧米の伝統的なトランプゲーム)をプレイする彼女は、それを彼に教えた。すると、彼は自分で他のゲームを学ぶようになった。たびたび病との戦いに人生の時間を奪われながらも、その中でバートン家はゲームをプレイし続けた。彼らにとって気晴らしであり、待合室や医務室での猶予であり、ゲームの中で負けられる機会でもあった。ブランドンはゲームで育った。そして、それは彼が失ったことがない愛だった。

 それゆえに、2004年にブランドンが脊髄手術から回復し、ベッドの中に長く留まるにあたり、何かプレイできるゲームを探しに行ったことは驚きではないだろう。そこで彼が探し求めたのはマジック:ザ・ギャザリングだった。オンラインでプレイできるカードゲームは、ゲームを求める彼の欲求を満たし、機会を与えた。ベッドから離れることができなかった数週間ずっと、マジックは彼とともにあり続けた。

 当時の最新のセットは『フィフス・ドーン』で、ブランドンは最初から夢中になった。

 ブランドンは言う。「僕は常にゲームの中にありました。これは楽しいかもしれないと思って、やってみることにしたんです。最初は他にできることがあまりなかったからでしたが、本当に好きになって、プレイを続けました」

 ゆっくりと回復するにつれて、ブランドンはベッドを離れることができるようになった。しかし、彼はいつもマジックをプレイするために戻ってきていた。

「僕はオンラインでさらにプレイするようになりました。そして競技プレイも」 プロツアー『戦乱のゼンディカー』でこの日4勝目を挙げ、2日目進出を決めた後、彼は短く言った。「大規模なオンライン・トーナメントでのプレイを始め、2011年には、Magic Online Championship Seriesで準優勝できました」

 それは気高い成功だった。しかし、ブランドンにとって最後に訪れた失望でもあった。決勝に勝てば、彼は世界選手権へ向かう航空券と、このゲーム最大のステージでプレイする機会を得るはずだった。しかし敗北によって、究極の報奨の代わりに、わずかなオンラインでの補償を得るだけになった。

 その後、イベントまで1か月を切ったころ、幸運がブランドンに微笑んだ。

「彼は私を大声で呼び、優勝者が出席することができず、彼がサンフランシスコに行き世界選手権でプレイすることになったと伝えるメールを見せたのです。私がそれを本当だと思っているかと彼は聞きました。確認する方法はひとつしかないと彼に言って、私はすぐにウィザーズ・オブ・ザ・コーストに電話をかけたのです」

 本当だった。バートンは、デジタルのカードの代わりにカードボードを使って、世界選手権でプレイする機会を得たのだ。

 これはバートン家にとって画期的な瞬間だったが、同時にいくつもの課題をもたらした。

 ブランドンは車椅子から動くことができない。物理的にカードをプレイするには、テーブル全体に手が届かなければいけないが、彼にはそれができない。自分のこの状況のためには、自分だけのの解決策が必要だった。

 彼の生活全体を支えてきたように、エリザベスはブランドンのためにいる。彼女はこのゲームの基礎以上は理解していないが、彼女はブランドンの側から決して離れることはなく、スーパースターを散りばめた集団の中にあっても、ブランドンとエリザベス以上のチームは存在しない。彼女はカードを引き、彼はそれらを読む。

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彼がプレイを指示し、彼女が実行する。

「不安は何もありません」 エリザベスは短く言った。 「私は彼を助けるために何かできるなら、そうするでしょう」

 そして、彼らは多くのプレイを積み重ねた。世界選手権2011では良い成績を残せなかったものの、マジックで最も偉大なプレイヤーとして名高いジョン・フィンケル/Jon Finkelを破り、その他にもいくつかのプレミア・イベントで賞金を獲得し、中でもグランプリ・シカゴ2009ではトップ8進出まであと1勝のところまで来ていた。

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2009年にブランドンが紙のマジックをプレイし始めたとき、彼には物理的にカードをプレイする助けとなる誰かが必要だった。エリザベスはそれ以来、彼のためにある。

 それは必ずしも容易なことではなかった。ほとんどすべてのプレイヤーとジャッジに非常に協力的に受け入れられ、バートン家は暖かく見守られてきたが、課題もあった。過去には、エリザベスが偶然にも余剰のカードを引いてしまったためにブランドンがゲームの敗北を与えられることもあった。そして彼らはこの状況の中で動く方法を学ばなければならなかった。

「私が最初に彼と一緒にプレイを始めたとき、それはとても面白いものでした。私は自分が何をしているかわかりませんでしたが、『あなたが何をするのか正確に伝えるまで、何もしませんよ』と言うだけでした。私たちは指示の行き違いがないように努めなければいけませんが、こうして数年を経ても、私たちはこうしてやっています」

 Magic Onlineにおける不断の努力によって、22歳のブランドンは、プロツアー『戦乱のゼンディカー』のオンライン予選を勝ち抜いて参加権利を得ると、プロツアーに参加するべく、イリノイ州セント・アンからウィスコンシン州ミルウォーキーまでの短い旅をしてきた。

 彼は最大限の力を発揮し、2日目の競技に参加するための勝ち星を得た。そしてカメラの前のフィーチャーマッチで大接戦を演じてから少しの後、ブランドンはベッドにいた日々、彼とエリザベスの一部となるこのゲームに初めて出会ったときのことを思い出す時間を持った。

「僕は人々が与えてくれるすべての支援にとても感謝しています。みんな本当に良くしてくれて、こうしてプロツアーでうまくやっていけることをうれしく思っています。時々、僕がしたことを、僕がしたことでどれほど感動したかを伝えてくれる人もいます。でも僕は今回を、他のマジックのイベントと同じように見るようにしています。僕は特別でも何でもないんです」

 マジックで最も有名な戦いの場、そのステージの明るいライトの下で、エリザベスは何年も前にブランドンにゲームを教えたときと同じように、息子と一緒にゲームをプレイしている。

「私は彼がゲームをプレイするのが好きだと知っていましたが、人々が来て私に教えてくれるまで、彼がどれほど上手なのかを知りませんでした。ここにいて、こうして彼のプレイを見ていても、まだ実感できません。でもそれ以上に、私は彼の振る舞いを誇らしく思っています。彼はナイスガイで、いつも紳士です。この社会的な側面は、彼のために素晴らしいことですし、何より彼は自分自身を楽しんでいますから。それは私にとって大切なことなのです。」

 息子が自分自身を特別なものだとは思っていないと聞いて、エリザベスはそっと笑って答えました。

「彼はそう言いますが、私は彼がゲームの中だけでなく、ゲームの外でしてきたことを誇りに思っているのです。彼は自分が知っている以上のことを成し遂げています。記事を書かないかと申し出があったことがありますが、彼は乗り気ではありませんでした。なぜなら、彼が『僕の言うことなんか聞きたい人は誰もいないよ』と言うからでした」

 世界は今、聞いている。

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